ほんのこと

小説読んで、アニメーション見て、また小説読んで

 という訳で、『丕緒の鳥』を読んだ後、うっかりアニメーションの方も全話見てしまいました、『十二国記』であります。

 う~ん…やはり、オリジナルに無いキャラクターさんと話に、少々の残念感を抱きつつ、でも見入ってしまいましたの。もう、何度目かしら。学校から帰ってきた家人弐に、「また、見てんの?」と言われてしまいましたcoldsweats01 いや、いいんですよ。人が成長していく姿を見るのは、気持ちがいいのですよ。

 それが終わって、勉強中の家人弐には申し訳ないと思いながら、『落照の獄』を読み終えました。
 2009年かぁ…。小野さん、裁判員制度に思うところあったのかなぁ。
 読んでいて、うらこびとを捉えて離さなかった思いは、司法のことに疎ければ疎いほど、情が優先してしまうというのではないだろうかということ。瑛庚に法の運用のあり方を説明されて、納得。しかし、子どもを殺された親の言い分を聞くと、それも納得。情にブレーキを掛けるものを、うらこびとは持っていないですの。

 その上、例えば自分が瑛庚の立場で同様の場面にいたらどう考えるのか、子どもを殺された親の立場でいたらどう考えるのか…と思いを巡らせてみたものの、やはり、自分の身に降りかかっていないことなので、人事のようにしか考えられないですの。
 同時に、狩獺や恵施の様な部分を、自分が持っているかと問われると、否定はできない恐ろしさを感じてしまいましたの。

 柳国が傾いているというのは『風の万里 黎明の空』でも少し触れてあり、どんなストーリーが小野不由美さんの中で出来上がっているのだろうと、キョウミシンシンだったのですが、正直、うなってしまいました。国の傾きは、司法という観点から描かれていました。(そう言えば、本編で他国が倣うほど法のしっかりした国と、伏線がはられていましたね。)
 そして、裁きの難しさが、人の心の教化の可能性までも含んでいるからであると、うらこびとに教えてくれた人が今までに居たでしょうか。非道なニュースを見て好き勝手に批評批判しているのでは、「責難は成事にあらず」なのでしょう。おっとと、これは、また別の国のお話でした。

 柳国の王様を直接登場させること無く、一行にも満たない言葉のみを使って王様の失道に向かうが暗示されている見事さ。
 そのほかにも、役職、役職名しかり、刑罰のありかたに微細な設定が施され、『十二国記』ワールドますます堅固なり。

 と、うらこびとが今更言わずともですよね…失礼いたしましたぁぁぁcoldsweats01

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久々に読んだ『十二国記』シリーズ、うん、心の背筋が伸びました

 個人の心の葛藤は、なかなか他人には分かるものではないと、『十二国記』を読むたびに思いますの。
 綱渡りのような葛藤し、そして、どちらを選択しても墜ちてしまう。この葛藤の様子を知らない第三者は、やはり、結果だけを見るしかないので結果の悪さに一瞥をくれるだけになるのだろうけれど。それでも、万人に理解されずとも、一番伝えたい人、それがわずか一人だけであったとしても伝わればそれでいい。解り合えた瞬間があればそれでいい。

 でも、実際そうなのかな。自分自身も皆に好かれたいなんて周りを気にする思春期特有の考えなどは、とうに忘却の彼方。(←←これ、おばさん化現象といいますのcoldsweats01)やはり、今では数名の自分を理解してくれる人に真摯に接していければ、それでいいかなと思っていますの。

 そう、それで『十二国記』、ふわっと終わるのは『図南の翼』だけかなぁ。今回、新しく読んだのは『丕諸の鳥』だったのですが、シリーズ(番外編的な小さなお話を含めて)を重ねるにつれて「疑念や後悔や葛藤→苦渋の決断→真に得られた理解者と、困難な道程とは分かっているが敢えて進んでいくべく一歩を踏み出そうとしている」が濃くなってくるようで。ただ、物凄く主観的な書き方になってしまうけれど、この区切りのつけ方、今の自分の年齢や気持ちにすごく合っていて、気持ちが好いのです。

 そう、今は遠くに見える小さな輝きだけれども、ひとつひとつの困難を乗り越えていけば、それは眩い輝きとなって皆を包んでくれるだろうという、先の明るさを含んでいる物語の一区切り。モチベーションの高い状態での一区切り。このような一区切りの連続で人生紡げたら幸せですの。このupup気持ちを持続させるために、時々読み返してしておりますの。

 この『丕諸の鳥』は『十二国記』世界の設定、更に細部までに到っています。今の言葉で言うなら儀礼式典を執り行うための、しかも、その式典のうちの一つに携わる役職の設定です。キッチリと役職名、役割が描かれていました。さすがですぅ。
 その役職についている人物の役職に取り組む心持を通して、そう古くはない慶国の興亡、慶国へ(新王へ)の失望と期待というものが読む側に伝わります。

 常々思うことに、短い台詞が琴線に触れます。近代の文学作品に比べると台詞は多いですが、ライトのベルのように台詞の掛け合い率が高いわけではないので、台詞の一つ一つが重みがあるのです。
 『忘れがたいものを見せてもらった。……礼を言う』
 陽子の玉座に着くまでの道程、玉座に着いてからの一山を先に読んで知っている上で、丕諸の心のうちを読み進めてきた時、この台詞が「丕諸と慶国」「慶国と陽子」を繋いだと、思わず目頭熱くなりましたの。

 そう、市民は市民の感じ方で考え他を評価する。役人もそれぞれの階級や職の内容にに見合った感じ方で他を評価する。王様は王様の立場に見合った考え方をしなければならない。その、内面は推し量るしかないのだけれど、接点がある限りはそれが好い繋がりであると嬉しい。それは、物語の中でも現実の生活でも。

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ひきつづき、萩尾望都さん

 昨日に引き続き、萩尾望都さんのこと。

 またまた古くて恐縮です。1980年初版の本です。文・光瀬龍さん、画・萩尾望都さんですよぉ。これだけは、一緒に引越ししました。
 案の定、レビューには画像が無かったので、携帯電話カメラモード撮影です。写真下部の黒いものは、ブックスタンドの押さえの部分ですcoldsweats02

20101118221856_2                『宇宙叙事詩[上]』(早川書房)
                文・光瀬龍 画・萩尾望都

20101118221927                 『宇宙叙事詩[下]』(早川書房)
                文・光瀬龍 画・萩尾望都

 B5判で102ページ。すべて、見開きが一シーンの色を抑え気味のカラーイラストと、そのイラストに時間の流れのように埋め込まれている文章で、構成されています。

 絵も美しいのですが、お話も透明で美しく、短いお話それぞれに含んだ悲哀が、読後には大切な人に傍にいて欲しいような気持ちにさせます。
 私は、中でも『たそがれの楼蘭』という話が好きだなぁ。確か初版発行の年あたりは、楼蘭で美しく気品を湛えた女性のミイラが発見された年くらいでしたかしら。楼蘭のミイラの話題のほうが私には先で、とってもわくわくしながらニュースを見ました。
 私が持っているのは1981年3版発行のものです。そう、その楼蘭のミイラの話題がこれほど切なく透き通った恋物語に。光瀬さんの文章に吸い込まれてしまって、本当にあったお話のように錯覚してしまいました。

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