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とりあえず「堕」は回避できたのでその目的は達成したのかもしれませんが、ネガティヴすぎる

 食べ物、たいていのものはいただけますが、ごめんなさい、ザーサイだけは食べられないですの。

 同じく、アニメーションに関しても、たいていのものは見れます。…っていいますか、根がグータラなのでダラダラと見ちゃうといいますか…。もちろん、「微妙~っ」て思いながらも見ているのありますが、一日アニメーションを見ていていい日があったりしたら、たいていのアニメーションであれば、TVの前でトドになって見ていると思う次第ですの。
 前回、少々触れた日常系(?)アニメであっても、このような言い方をする限りでは例外ではありませんの。

 なのですが、なのですが、動物や昆虫や日用品がしゃべるアニメーションは、ごめんなさい、どうしてもいただけませんの。
 幼少の頃でさえ、なんといいますか、某テレビ局の学年別の道徳教材番組やら、長じては中学生少年少女の日記番組やらを見るような、そんな気分にさせられてしまいましたの。

 制作会社の方々、ごめんなさい。決して批判しているわけではないですの。自分の内面を映す鏡とでもいいましょうか。

 この、「道徳的」というセンスが、幼心に嫌悪にも似た感情を抱かせたのかなぁと感じました。
 「そんな奔放なことしてたら→→ほらぁ、やっぱり堕ちたでしょ→→でも、許す度量の大きい人がいて、当人も海よりも深く反省したので大団円」という構図の中の、「堕」一歩手前の心の重さは、この上なくどんより恐ろしい。底なし沼か、はたまたブラックホールの如きものに飲み込まれていく心持になってしまいますの。これが、とても辛かったですの。
  と、これは、今の私の年齢で幼少の頃の心持を分析したので、子どもの私が明確にそのように考えていたのではないですぅ。当時はただ、漠然と「嫌~~な気持ち悪い感じ」だったですの。

 その後の大団円にも、いささか疑問をもっておりました。実際のところ、100同じ話があったとしてせいぜい1か2が、大団円をむかえられる割合かしら?もっと少ない割合?
 大団円、温か過ぎるデスぅcrying眩し過ぎるですぅshineshineshine
 「自分が奔放してみる。おお、きっと甘美な世界でしょう→→堕ちるのは怖~い→→私だったらきっと、堕ちっぱなしにちがいない→→怖いの嫌だからやめとこう」ネガティヴな思考回路で、なんとか「堕」は回避。うらこびと、やはり、人間が小さいですねぇcoldsweats01

 更に、ますますのこと、幼い私が拒否反応を示したのは、その「道徳的」なことを人間じゃないものが演じていたことに対してのように思いますの。
 これに関しては、たとえ幼い子に対してであっても(いや、幼い子に対してだからこそかも……)やはり、人が人に語った方が好いのではないか?……と思わずにはいられません。

 ん、見えましたのflair
 要は、「道徳性」が人でないものと結びついていると、苦手ですの……?
 人が演じるバリバリ道徳的アニメーションとか、動物・昆虫・日用品がしゃべるけど道徳的でないアニメーションとかだと、穏やかに視聴できるのかしら?
 試してみたいけれど、あるかしら……

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