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2011年2月

肉じゃがかカレーか

 家人弐に「今から寝るから、一時間したら起こして」とたのまれました。「われわれは、うらこびとによってその要求を理解した。だが、われわれは、うらこびとによってその要求されたことを忘れる可能性がある。」………そう、忘れるという概念が…。

 冲方丁氏の『ストーリー創作塾』((株)宝島社)を読んだ家人弐、突然、「『蒼穹のファフナー』は『エ○ァン○リオン』の二番煎じってホントなの?」と質問を突きつけてきましたの。

 それにしても家人弐は、冲方丁氏との第一次接触が、かの『蒼穹のファフナー』でも、『マルドゥックスクランブル』でもその他の氏の小説でもない、『ストーリー創作塾』というのがいきなりすぎますの…coldsweats01

冲方式ストーリー創作塾

冲方式ストーリー創作塾

著者:冲方 丁

冲方式ストーリー創作塾

 で、実際に両方見るのがよろしいのではないでしょうか~、ということで、家人弐のペースでゆっくりと『蒼穹のファフナー』テレビシリーズを見終わりました。
 正直なところ、この作品は独りで見たいですの。ううう…号泣のファフナーですのぉぉぉぉと、もだえつつ、見終わった後には、秘かにミールごっこが流行っているうらこびと家。

 なんと言いますか、うらこびと的には………
 夏目漱石の『こころ』を読んだら、武者小路実篤の『友情』も読みたいと言いますか。
 ジャガイモと人参と玉葱があるとするでしょ、そうしたら、肉じゃがを作るかカレーを作るか。今日は肉じゃがで明日はカレー?とか。好みか好みじゃないか?とか。

 そんな感じですの。一言では、言えませんのよ…。 

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小説読んで、アニメーション見て、また小説読んで

 という訳で、『丕緒の鳥』を読んだ後、うっかりアニメーションの方も全話見てしまいました、『十二国記』であります。

 う~ん…やはり、オリジナルに無いキャラクターさんと話に、少々の残念感を抱きつつ、でも見入ってしまいましたの。もう、何度目かしら。学校から帰ってきた家人弐に、「また、見てんの?」と言われてしまいましたcoldsweats01 いや、いいんですよ。人が成長していく姿を見るのは、気持ちがいいのですよ。

 それが終わって、勉強中の家人弐には申し訳ないと思いながら、『落照の獄』を読み終えました。
 2009年かぁ…。小野さん、裁判員制度に思うところあったのかなぁ。
 読んでいて、うらこびとを捉えて離さなかった思いは、司法のことに疎ければ疎いほど、情が優先してしまうというのではないだろうかということ。瑛庚に法の運用のあり方を説明されて、納得。しかし、子どもを殺された親の言い分を聞くと、それも納得。情にブレーキを掛けるものを、うらこびとは持っていないですの。

 その上、例えば自分が瑛庚の立場で同様の場面にいたらどう考えるのか、子どもを殺された親の立場でいたらどう考えるのか…と思いを巡らせてみたものの、やはり、自分の身に降りかかっていないことなので、人事のようにしか考えられないですの。
 同時に、狩獺や恵施の様な部分を、自分が持っているかと問われると、否定はできない恐ろしさを感じてしまいましたの。

 柳国が傾いているというのは『風の万里 黎明の空』でも少し触れてあり、どんなストーリーが小野不由美さんの中で出来上がっているのだろうと、キョウミシンシンだったのですが、正直、うなってしまいました。国の傾きは、司法という観点から描かれていました。(そう言えば、本編で他国が倣うほど法のしっかりした国と、伏線がはられていましたね。)
 そして、裁きの難しさが、人の心の教化の可能性までも含んでいるからであると、うらこびとに教えてくれた人が今までに居たでしょうか。非道なニュースを見て好き勝手に批評批判しているのでは、「責難は成事にあらず」なのでしょう。おっとと、これは、また別の国のお話でした。

 柳国の王様を直接登場させること無く、一行にも満たない言葉のみを使って王様の失道に向かうが暗示されている見事さ。
 そのほかにも、役職、役職名しかり、刑罰のありかたに微細な設定が施され、『十二国記』ワールドますます堅固なり。

 と、うらこびとが今更言わずともですよね…失礼いたしましたぁぁぁcoldsweats01

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家族麻雀のすゝめ

 なんてタイトルの本やアニメーションがある訳ではないですの。何時ぞやのシーズンに『咲―SAKI―』が放映された折、うらこびと家に麻雀ブームがやってきました。

 アニメーション先行で原作を読んでないので、未だにお姉ちゃんやお母さんの謎が残りっぱなし。全国大会の行方もどうなってるのでしょうか…なのですが。結構、登場人物が個性派揃いで好きでした。気にしつつ、次を期待しつつ、なんだかもう忘れそうになっております。

 登場人物が多かったので、うらこびと家では人気も割れてしまいましたの。
   家人壱……日常・普通・平凡をこよなく愛すため、タンヤオ好み
           →→→宮永 咲、竹井 久
   家人弐……男子キャラは真面目・色ネタ無しが好みだが
          女子キャラは統一した好みがないらしい、
          役無しリーチ
           →→→染井 まこ・原村 和・福路 美穂子
   うらこびと…元気のよいときはいいのだが、
          後半疲れが出てきたら
          後は他力本願のトイトイ攻撃
           →→→片岡優希

 家人弐、バカテスの姫路さんの例もあるので、ピンクの髪と巨乳がポイントですかしら…。であるならば是非、ラクス様も好きになっていただけますか。お、ピンクの髪はクリアーですが、巨乳が微妙…?いや、結構いけてると思うのですが、それは、わたくしの名を騙っていた方のほう?

 釘宮理恵さん、アルフォンス君とか小森君とか泰麒君(君って、おいおい…)とかしか知りませんでしたの。片岡優希の釘宮さんもよいですねぇ、よいですねぇ。
 エンディングも元気いっぱいで、ぶっちぎりだぢぇ~punch

 福山潤さんは、やはり、お前さんは何様だい?と訊きたくなるような上から目線(ルルーシュやらゴーシュじゃなくってノアールの方、ど、ど、ど、どんな時もかっこいいレオパルドとか…)の方が好きかなぁ。あ、でもグレルは悪くないですの。声だけで「し・に・が・み・DEATH」って、ちゃんとアルファベットに聞こえてしまいますものね、さ・す・がDEATHcatface

 ところで、うらこびと家、三人しか存在しないため三人打ちかと思いきや、麻雀暦の一番長いうらこびとが二人前打っておりますの。点数計算もやらされてなので、あわせて疲労のスピードが通常の3倍horsedash

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とりあえず「堕」は回避できたのでその目的は達成したのかもしれませんが、ネガティヴすぎる

 食べ物、たいていのものはいただけますが、ごめんなさい、ザーサイだけは食べられないですの。

 同じく、アニメーションに関しても、たいていのものは見れます。…っていいますか、根がグータラなのでダラダラと見ちゃうといいますか…。もちろん、「微妙~っ」て思いながらも見ているのありますが、一日アニメーションを見ていていい日があったりしたら、たいていのアニメーションであれば、TVの前でトドになって見ていると思う次第ですの。
 前回、少々触れた日常系(?)アニメであっても、このような言い方をする限りでは例外ではありませんの。

 なのですが、なのですが、動物や昆虫や日用品がしゃべるアニメーションは、ごめんなさい、どうしてもいただけませんの。
 幼少の頃でさえ、なんといいますか、某テレビ局の学年別の道徳教材番組やら、長じては中学生少年少女の日記番組やらを見るような、そんな気分にさせられてしまいましたの。

 制作会社の方々、ごめんなさい。決して批判しているわけではないですの。自分の内面を映す鏡とでもいいましょうか。

 この、「道徳的」というセンスが、幼心に嫌悪にも似た感情を抱かせたのかなぁと感じました。
 「そんな奔放なことしてたら→→ほらぁ、やっぱり堕ちたでしょ→→でも、許す度量の大きい人がいて、当人も海よりも深く反省したので大団円」という構図の中の、「堕」一歩手前の心の重さは、この上なくどんより恐ろしい。底なし沼か、はたまたブラックホールの如きものに飲み込まれていく心持になってしまいますの。これが、とても辛かったですの。
  と、これは、今の私の年齢で幼少の頃の心持を分析したので、子どもの私が明確にそのように考えていたのではないですぅ。当時はただ、漠然と「嫌~~な気持ち悪い感じ」だったですの。

 その後の大団円にも、いささか疑問をもっておりました。実際のところ、100同じ話があったとしてせいぜい1か2が、大団円をむかえられる割合かしら?もっと少ない割合?
 大団円、温か過ぎるデスぅcrying眩し過ぎるですぅshineshineshine
 「自分が奔放してみる。おお、きっと甘美な世界でしょう→→堕ちるのは怖~い→→私だったらきっと、堕ちっぱなしにちがいない→→怖いの嫌だからやめとこう」ネガティヴな思考回路で、なんとか「堕」は回避。うらこびと、やはり、人間が小さいですねぇcoldsweats01

 更に、ますますのこと、幼い私が拒否反応を示したのは、その「道徳的」なことを人間じゃないものが演じていたことに対してのように思いますの。
 これに関しては、たとえ幼い子に対してであっても(いや、幼い子に対してだからこそかも……)やはり、人が人に語った方が好いのではないか?……と思わずにはいられません。

 ん、見えましたのflair
 要は、「道徳性」が人でないものと結びついていると、苦手ですの……?
 人が演じるバリバリ道徳的アニメーションとか、動物・昆虫・日用品がしゃべるけど道徳的でないアニメーションとかだと、穏やかに視聴できるのかしら?
 試してみたいけれど、あるかしら……

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